「知」のソフトウェア(講談社現代新書)
情報がこれほどまでに氾濫している現代においては、受け手の側がその情報を
取捨選択して、自分にとって価値ある重要な情報を取り出さなければならない。
そして、よりよい情報のインプットとアウトプットを行うためには、自分なりに試行錯誤
しながら独自のインプット・アウトプットの方法論を確立していかなければならない。
だが、それが一筋縄ではいかない。
本書は著者の情報のインプット・アウトプットの方法論を論じたものだが、著者の指摘する
通り、著者の方法論をそのまま実行すればすぐにでも情報のインプットやアウトプットが
できるなどとは思ってはいけない。あくまで、本書で論じられている方法論は著者が長年の
試行錯誤を経て培ってきたものであり、あなたの人生経験で培われたものでは「ない」のだから
あなたにっと最適な方法論であるはずがない。だが、学ぶべき点は非常に多いように思う。
特に、第五章の「入門書から専門書まで」はとても参考になる。インターネット上で情報や知識が
瞬時に手に入る時代ではあるが、やはり著者の言うとおり、ある分野についての体系的な知識を
得るには本を読むことが一番である。ある分野の入門書を読むときの著者の方法論はあらゆる分野
の人が適用できるものだと思う。たとえば、本を読んでいるときに分からない部分、理解できない部分
が必ずあらわれる。多くの人はこれを自分の頭の悪さを原因にしてしまうが、別の見方を
すれば、著者の頭の悪さや説明の悪さに起因することだって十分に考えられる。偉い学者が書いた本
などを読むときは前者の傾向がますます高くなってしまうが、何も学問的な権威に頭を下げながら本を
読む必要は全くない。説明が悪ければ、「頭悪いじゃねえのか?」「ちゃんと理解しているのか?」という
風に批判的に読むことが重要である(むろん批判的に読むためには読み手にもそれなりの知識が必要
であることは言うまでもない)。ある事柄を説明するときに、その説明の分かりやすさがその人のその分野
への理解のバロメータになっていることはしばしば言われる。現に、リチャード・ファインマンもそのような
主旨の発言をしている(と記憶しているが、ちょっとあいまい)。そのため、本を読んでいて分からない部分に
出くわしたら、そのままにして先に進んで、また別の入門書で分からなかった部分をカバーすればよいと
著者は言う。これは、たとえば物理の本を読んでいてもそうである。教科書を読んでいると
「そして、○○と○○の間には以下の関係式が成り立つことが知られている。」という説明があって、
その下に式が載っているという場面に出くわすことがたびたびある。
このとき、なぜこの関係が成り立つのかさっぱり分からず数時間立ち往生する
事が私の経験上しばしばあった。その式は理論的に導き出されるものなのか、それとも実験的に見出された
経験式なのかといった具合である。「知られている」という言葉を使用している場合、「理論式」とも「経験式」
とも解釈できるので非常に厄介である。そんな時は、「この式は成り立つものなのだ」と受け入れて一応は
前に進むよう心がけている。そうしないでその場に立ち尽くしていると時間がどんどん経過してしまって
とてもではないが、本を読み終えることができない。我々の時間は限られているのだから、それを無駄に
しないための方法が、「受け入れて」前に進んだり、著者の指摘するようなその本の著者の頭の悪さ、
説明の悪さに帰着させるたりすることである。そのほかにもこの章には本の読み方について著者なりの
方法論が語られている。
本書にはそのほかにも著者独自の情報のインプット・アウトプットの方法論が書かれているので興味の
ある方は読んでみることをおススメする。


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